静かな闇いっぱいに響く虫の声。季節の移り変わりを告げるように吹く風には、確かに近づいてくる冬を感じさせる。
自分がこんな感傷的な気分になるのも珍しい。もしかしたら、生まれてはじめてかもしれない。

「まるで、嘆けって・・・・・・言ってるみたいだね」

自分自身に嘲笑し、凛は霞んだ月を見上げた。




まさか自分がとんでもない失敗をするなんて思ってはいなかった。今までずっと勝っていた相手に敗北した。しかも、受験生という大切な時期に。今までだったら軽く流せる自信があった。だが、残念ながら今の自分にはそんな余裕はない。まさに食うか食われるか。こんな状況で、ライバル視していた駿にテストの順位で逆転されるなんて凛には耐えられなかった。

「悔しい。ほんっとに悔しい。・・・笑うなっ!」

自分の成績表を自慢げに見せてくる駿の行動も、凛の怒りを増幅させる大きな原因の一つだった。これだから、小さな塾は困る。やってるテストは全国規模のものだから、全国平均から見た信頼できる偏差値がわかる。けれども、人数の少ない教室でやったとしてもクラス順位は出るのだ。同じ塾の誰が何番かなんて、すぐに分かってしまう。

「なんだよ、いいじゃん。念願の一位なんだぜ?俺の苦労がやっと報われた瞬間なんだから、一緒に祝ってくれてもバチは当たんないと思うけど。・・・なに、やっぱ悔しいの?」

最後の一言は完璧に余計だった。まるでバカにしているかのような口調。一発顔面に入れてやろうか。そんな感情を必死に押さえた凛は、鞄から教科書、参考書を取り出すとまだ何か言いたそうにしている駿の睨みつけ、自分自身に誓った。もう二度と絶対に、なにがあってもコイツだけには負けない。

「な、なんだよ・・・」

「別に。さっさと勉強すれば?」

駿がその場にいる事を完全に無視して、集中して勉強に取りかかろうとした凛のやる気をそぐように駿が口を開いた。

「なぁ、やっぱり前に言ってた高校に行くわけ?」

「いきなり何を言い出すかと思ったら。そりゃ、今更進路変える事なんてできないし・・・。それに、やりたい事があるの」

駿の問いに答えながらも、凛の目は教科書に向けられている。

――さっき誓ったばかりなんだから、頑張らないと。

一向に顔を上げる気配のない凛の態度にどこか悔しそうな顔をしながらそれでも駿は言葉を続けた。

「そっか、んじゃ高校別々だな。って事は腐れ縁もこれまでか・・・」

「あれ、進路変えたんだ?前同じとこに行くって言ってたような気がするけど?」

前に進路の話をしていた時は、自分と同じ高校に行くって明るく言ってたのに。腐れ縁と言う言葉がピッタリなコイツと会う機会が減るの、結構寂しいかもしれない。凛はやっと手を止めて顔を上げ、駿の顔を見た。

「親と担任がさ、こないだの三者面談で勝手に進路決めたんだよ。んで、変に期待持ってるんだよな」

その言葉に、知らない間に駿の事を睨んでしまったらしく、駿の顔が一瞬引きつった。

悔しかった。親に決められたから他の高校に行くってまるで人事のように言う目の前のコイツも。子供の意見も聞かずに、まるで押し付けるように子供の将来を決めようとする親も、教師も。

しばらく続いた沈黙の後、空気の重さに耐えかねた駿が口を開いた。

「お前のこと結構好きだったから、寂しいけどな」

「私も結構好きだったから、寂しいかな。何故か趣味似てて、話しも合う人と語り合えなくなるのは辛いものがあるね」

これ以上話してたら絶対にちゃんと理由も言えないまま、コイツを殴るかもしれない。凛は今度こそ勉強に集中した。そんな凛の様子を寂しそうに、そして諦めを含んで見つめる駿の視線に凛が気付く事は最後までなかった。









家もそんなに離れてるってわけでもないし、携帯のメアドも知ってるしその気になればいつでも会える。中学を卒業して、別々の学校に行くという事を甘く考えていた凛は自分の甘さを後悔した。最初は何とも思っていなかった。でも、メールをたまにした後に感じる寂しさ。そして、駿が通っている高校の近くを通る時、朝学校に行く時に思わず駿の姿を探す自分の姿に気付いたとき、凛は初めて自分が駿の事を好きなのだとはっきりと自覚した。

「遅いっての」

思わず呟いてしまった言葉に苦笑する。今日は久しぶりに駿に会える。そんな、自分には全く似合わない淡い期待が胸の中にある事にも苦笑した。中学の時の自分が今の自分を見たらなんて言うだろうか。そもそも、好きな人がアイツだって知った時点で「まさか」と目を丸くして驚くだろう。

「なにが遅いって?っとに、百面相なんてするなよ」

「久しぶりに会って第一声がそれなんて、性格悪いよ」

本当に、コイツは変わってない。久しぶりに出会った場所が懐かしい中学校だったからっていう理由もあるかも知れない。でも、それでもやっぱり変わってない。こんなささいな事が、今の凛にはとても嬉しいことに感じれた。

「ほらほら、はやくちょうだい」

せかすように手を出した凛の行動は、駿の苦笑を誘った。

「わかってるって。そんなせかすなよ。ちゃんと持ってきてるんだし、土産は逃げないって」

「そんな事言ったって、楽しみなものは楽しみなんだからしょうがないでしょ?」

逃げない、なんて言われても今の自分はまるで初めて誕生日プレゼントをもらう子供のようにはしゃいでいるし、自分にはそれを押さえようなんて気持ちは全くないのだ。好きな人から物を貰えるという嬉しさを押さえ込むことができる人なんているのだろうか。

「ほんと、変わらないよなぁ」

「それはこっちのセリフだって」

「ほら、割れ物だから落としたりして割るんじゃないぞ。一応この俺が何十分もかけて選んでやったお土産なんだからな」

口では大事に扱えと言っていた駿だが、ポイっとまるでぬいぐるみを渡すぐらいの手軽さでソレを凛に投げた。

「はぁ!?ちょ・・・・・・っとと。・・・・・・のバカがっ!」

危うく落としかけたお土産が無事に自分の手の上で静止したという事に安堵を覚えた凛だったが、お土産を取ろうとした自分の慌てふためく様子をずっと見られていたという事にやっと気付き、「ありがとう」という言葉よりもなによりも先に出てきた言葉が自分の心とはまったく正反対の「バカ」という可愛げの欠片もない言葉だった。

「・・・笑ってるし」

自分の目の前で駿がなんとも言えない顔で笑っているという事が腹立たしく、恥ずかしい。

「いや、まさかそんな必死で取るなんて思わなくってさ。悪かったって」

「ほんとに思ってんのかなぁ。・・・あ、旅行面白かった?」

何気なく言ったこの一言で、駿の表情が変わった。さっきとはまた違う『喜び』に。

「そうなんだよ、聞いてくれよ。修学旅行たまたま・・・・・・なんていうかさ」

一気に照れくさそうな表情になった駿の姿に、なんだか嫌な予感を感じた。そこから先の言葉なんて聞きたくなかった。

「好きな人っていうかさ、いいなって思ってた子から告白されちゃってさ。いや、ほんっとにいい思い出作りになったっていうかなんというか」

あぁ、こんな表情もするんだ。場違いにもそんな事を考えている自分に腹が立つ。それより何より・・・。

「そっか、おめでと。・・・・・・可愛い子?」

当たり前にこんな事聞き返してる自分が嫌だ。泣きそうになってる自分が嫌だ。

「あったり前だろ。優しいし可愛いし。お前とはまるで正反対」

何か言おうと口を開いても、何を言ったらいいのかわからない。

「でも・・・・・・前、お前の事がさ・・・・・・好き・・・だったんだよな」

どこか遠い目をして、笑いながら駿が言った言葉。こんな言葉を、このタイミングで言われるなんて凛はまったく予想してなんていなかった。それ以前に、駿が自分の事好きだったなんて事もわからなかった。

「・・・・・・え?」

完全に頭の中がパニックになる。今、目の前のコイツはなんて言った?駿が言った言葉だけが、凛の頭の中をぐるぐると回る。駿の予想外の告白は、凛の頭を完璧に真っ白にした。

「そ、そんな固まるなよっ!・・・あ、あの頃は俺も若かった。お前は何回遠まわしに告白しても通じないしさぁ・・・。それも、いい思い出だけどな」

青春って感じだろ?後に続いた駿の言葉なんて、今の凛には理解できなかった。

「・・・・・・そっか。じゃあ、その可愛い彼女さんとこれからもラブラブになるわけだ」

早くココから逃げたい。家に帰りたい。そんな思いばっかりが、凛の心をしめていた。

「おう。あったりまえだろ。お前にも早く恋人できればいいな」

「・・・努力する・・・よ。んじゃ、帰るね。お土産アリガトウ」

早くここから、駿の前から消えないと自分の気持ちに気付かれそうで怖かった。

「気にするなよ。んじゃ、またな」

「うん。バイバイ」

手を振って、別れて・・・。それから自分がどうやって家に帰ったかなんて、凛は覚えていない。気付いたら家のベッドに伏せていて、泣きつかれて眠っていた。







「初めて好きになって、失恋して・・・。でも途中までは両思いで。私が気付けなかっただけで・・・」

見上げた月が雲も出ていないのになぜか霞んで見えるという事実に、初めて自分がまた泣いていると言うことに気付く。

「アイツの事バカバカって言ってたけど、ほんとに馬鹿なの・・・私じゃん」

喉の奥が熱くなり、痛くなって呼吸がしづらい。

――泣くぐらい好きなら、どうして私はあの時・・・・・・。

言えるわけなんてない事ぐらい、自分でも分かりきっていた。幸せそうな駿の顔を崩す事なんて凛にはできなかった。それは逃げだと言うことも理解はしていた。
いい加減に泣くのは止めようと立ち上がろうとした凛の足に、駿からもらったお土産がぶつかった。しばらくそれを手に取り、唇をかんで見つめた。

「今は、まだ・・・無理・・・・・・かな」

凛はお土産の袋を開けることなく、棚の奥にしまいこんだ。

「・・・いつか・・・・・・いつか、きっと・・・」

この、伝えられない想いが消えた時に。キモチの整理が出来た時に。
呟いた言葉は闇に溶け、凛は静かに輝く月を見上げた。