ポツリポツリと降り始めた雨は、まるで自分の心を表しているかのようで、俺は目をそむけることが出来なかった。
どうして俺はここでこんなことをやっているのだろう?
一時止んでいた冷たい雨は、再び本格的に降り始めた。




冷たい






「ヤダー。野良猫よ。あっち行って」

当たり前のやりとり。
聞きなれた言葉。
見慣れたニンゲンの態度。


どれも俺にとっては日常のこと。
薄汚れた俺にいい感情を持つ奴なんて存在しない。
たまに触ってくるバカたちも居るが、そんな奴は自慢の爪で引っかいてやる。
そうすればたいていのニンゲンは悪態を吐きながら去っていく。
そんな奴らの後姿を見るのは楽しい。


公園は俺の領域だ。
他の猫の侵入は許さない。
そう心に固く誓っていたはずなのに・・・。


久しぶりに公園にやってきた俺の目の前にはダンボール箱に入れられた子猫が1匹いた。
このままだと間違いなく死ぬだろう。
この世はしょせん弱肉強食だ。
恨むなら弱い自分自身を恨むことだな。
俺は俺自身で手一杯だ。


箱の中を覗き込むと、俺を見上げてくる黒くて丸い目と目が合った。
あなたはだあれ?
少し弱った様子の子猫の目は俺にそう訴えてきていた。


子猫を見ていると、無性にイライラして、しょうがなかった。
俺は子猫の目から逃れるようにその場を離れた。





いつものように食べ物を捕りに行っても、俺の頭はあの子猫のことで一杯だった。
生まれてからもうだいぶたっているようだが、あれぐらい小さかったらニンゲンどもが飼うだろう。
そう考え、自分自身を無理やりに納得させようとしても納得できない。
あいつは、昔の俺にそっくりだ。
ただ誰かに助けられることを待つしかなかったあの日の俺に・・・。
ただひとつ違うのはあいつが捨てられた時期と俺が捨てられた時期の違い・・・。 あいつはあまりにも幼すぎる
子猫の目が頭にこびりついて、離れない。


しょうがない。
俺は子猫のところに戻ることにした。
口に捕らえた獲物を咥えて・・・。



「・・・・・・」

子猫の入っているダンボールの前にニンゲンがいた。
まだ小さい子供だ。


そいつはダンボール箱を抱えると、おもむろに公園の出口へとおぼつかない足取りで歩いていく。

・・・あいつが捨てたニンゲンだろうか?

なにはともあれ、あいつは無事にニンゲンに引き取られたらしい。
そのことにホッとする俺が居る。
あの子猫を見てから、俺は変わってしまったらしい。
前はこんなことなかったのにな・・・。


その日はいつもよりも気分よく、自分の寝床に戻って行った。












ウソだろ?

まず思ったのはそれだった。
今日は朝からずっと雨が降っていた。


俺の目の前にあるのはダンボール。
見間違えもしない、昨日ここに置いてあったダンボールだ。
あの子猫は、きっとまだ中に入っているだろう。


俺はダンボールのふちに手を置き、中を覗き込んだ。

『オイ』
『・・・・・・ぁ』

まだ生きてる。
でも、ずいぶんと弱りきっている。


あの子供、昨日あれからすぐにここに捨てに来たんだな。
親に飼ってはダメとでも言われたのだろう。


『オジサン・・・だぁれ?』

黒い目がじっとこちらを見つめてくる。

『待ってろ、すぐに出してやるから』

自分が何をしているのかなんて、わからなかった。
ただ、目の前にある消えかけている命を助けたいと思った。


ダンボール箱を横に倒すために、俺は体重をかける。
でも、水を吸って重くなったダンボールは倒れない。
それに、ふやけてしまって力をうまく入れることも出来ない。


『オジサン、ここ・・・住んでるの?』

子猫の問いかけは続く。

『ボクね、と・・・いとこ・・・・・きた・・・だよ』

『黙ってろ。しゃべるな。無駄な体力を使うな』

『キョウ・・・イがね、3に・・・・・いる・・・だ。みんなでここにきたんだけどみんなボクをおいていっちゃったの』

子猫は制止の声を無視して話し続ける。
助けなければ。
これまでにない焦りを感じていた。


始めてみた時は死んでもかまわないとさえ思ったのに。
俺はこいつを自分自身と重ねてしまった。
俺は過去の俺を助けたかった。


『おかぁ・・・んね、ボクた・・・・・・にミ・・・クをくれ・・・・・・の。 お・・・・さんとってもあた・・・くって・・・ずっと・・・・・・そばに・・・いた・・・ておもって・・・』

『黙れ!!』

『で・・・も、ボクた・・・だけ・・・・・・かぁさ・・・から・・・なされてしま・・・・・・の』

雨の音で掻き消えてしまうほどの弱々しい声なんか聞きたくなかった。
冷たい雨は予想以上にこの子猫の体力を奪い取っていたのだ。
子猫は見て分かるほどに衰弱していた。


『ボクね、ボクね・・・。おかぁさんにあいたいなぁ・・・』

『会える!生きてたら絶対に会えるから!!死ぬな!!!』

『オジチャ・・・それ、ほんと・・・?がんば・・・る・・・・ぉ』

子猫の声から生気がだんだんと消えていくのが分かる。
黒い瞳がだんだんとぼやけていくのが分かる。
気づかなかったが、子猫は出血していた・・・。


子猫の体から力が抜けた。
子猫は、死んでしまったのだ・・・。


俺は自分の無力さを恨んだし憎んだ。
それ以上に、この子猫を捨てた人間を恨んだ。


雨はまだ、降り続いていて、死んだ子猫の体温をどんどん奪っていった。





子猫が死んでからも俺の生活は変わらない。
毎日のようにニンゲンから忌み嫌われ、追いやられる。
毎日生きていくための餌を狩る。
毎日自分の寝床で寝起きする。
俺の生活は変わらない。


でも、変わったものもある。
俺の心だ。
ポッカリ開いていた穴が1つ埋まった代わりに新たに1つ穴が生まれた。
この穴が埋まることはないだろう。
俺が俺で生きていく限り。